[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
僕はその子のために、何かをしてあげたかった。
ただ、それだけだった。
この町は、貧しい。
一言で説明しろと言われれば、まず僕はそう答えるだろう。
領主が税金を民から絞り上げて、民たちはその日の暮らしさえもいっぱいいっぱいな状況で、そこいらに飢え死にした死体が転がっていることも、ことに冬の前であるなら珍しくもなかった。
僕が彼女と出会ったのは、水汲みの途中、いつもの街角にて、しゃがんでいる少女を僕が見咎めた、そのときだった。
別に、そこいらにしゃがんだり、寝転んだりしている者は珍しくなんかない。生きているか、死んでいるかの差こそあれ。だから、死体であれば、特段もう驚くことではなくなってしまっていたのだ。
しかし、彼女は珍しく生きているようだった。
故に、声をかけた。かけてしまった。
僕のように声をかける少しばかりの良心を持ち合わせた善人、そういうのを待って、よいカモだと言わんばかりに盗みや強請をかけるやからも珍しくはないというのに、いかにも力も弱そうな、儚げな少女だったからという理由で、僕は彼女に、愚直なまでに普通に、声をかけてしまった。
「どうしたの?」
お金がないのはみんな同じこと。もし、お金がなくて、食べ物がなくて、なんて言われたら、さっさと流して立ち去るつもりだった。そして、僕の予想した彼女の返答はそういったものだった。なら、何を僕は話しかけているのだろう、期待しているのだろう。そう自問自答を脳みその中で繰り返す。きっと、一応死ぬ前に気にかけてあげた、という善人を演じたいだけ、自己満足に浸りたいだけなのだ、と結論を得たところで、僕が話しかけてから随分と沈黙を守ってきた少女は、ようやく口を開いた。
「お父さんを待っているのよ」
肉親。自分には今やいない存在なので、とんと想像が及ばなかった。ふうん。なるほど。その程度の感想で済んでしまう。想像できないものは、理解ができない。理解ができなければ、その喜びも、失った痛みも何もかもが分からない。僕は薄情な人間なのだと言う人もいるが、そんな薄情にならざるを得なかった人生を与えた神様こそが一番薄情なのではないだろうか?
「こんなところで? 危ないよ」
一応、聞き返す。多分、帰る家もないんだろうな、と検討をつけながら。
「でも、ここで待ってるって、決めたら。約束だもの」
そう微笑んで、彼女は、また視線を下に戻し、うつむいた。僕は、そう、とだけ彼女に言い残し、その場を立ち去った。
そうして帰宅した僕は、カバンを置き、冷え込む部屋に調理用の火をおこした。日が落ちる頃、カビのついたパンに少し火を当てたものを夕飯にといくらか齧ったときに、今日はえらく冷え込むことだ、と彼女のことをほんの少しだけ思い出して案じたが、それだけだった。
翌日。彼女は同じ場所にいた。
僕は水瓶を横に置き、一緒に座り込んだ。
「どんな約束なの」
少しだけ興味が沸いたからだ。肉親とは、どういったものなのだろうか。こんな寒い場所で、白い息を吐きながらも、微動だにしてはいけないほど、待ち焦がれる存在なのだろうか。
「お母さんがね、病気で。出稼ぎをしてくるって。お金ができたら戻るって」
彼女は冷えてしまったのであろう手に自分の吐息を吹きかけた。自分だって、座ったおしりから、ひんやりと床が冷たい。
「守るって保証は?」
「信じているの、わたし。お父さんを」
そう言って、彼女はまた微笑んだ。そう、体には気をつけてね。それだけ社交辞令を言って、僕は手を振る。そんな僕にも、彼女は精一杯手を振ってくれた。座り込んだままで。
それから毎日、僕は彼女をそこで見かけるようになった。どんな時間に行っても、彼女はいた。時折、横に腰掛けて話をした。そしていつでも、彼女は希望を語るのだった。ほの暗い闇が満ちるこの町で、ひとりだけ、希望の灯火を抱いているかのように。
そうした、ある日のこと。
出会って、ちょうど一週間くらい経った頃だった。いつものように彼女が座り込んでいるであろう街角に、彼女がいるであろうと想定して僕は歩いていた。
されど現実は、違った。彼女は居た、居たが、いつものように座り込んでいるのではなく、倒れ込んでいた。いつも座っている姿勢がそのまま横に崩れたような形で。
「ちょっと、だいじょうぶ?!」
急いでかけつける僕に、周りの人からの視線が痛い。そう、こんなこと、人が倒れたり死んだりしているなんて、日常茶飯事なんだ。いちいち心配するほうがおかしいし、心配していたら自分がソンするだけなんだ。
つい先日までは、僕もその常識を共有していたというのに、おかしな話だ。彼らが薄情に見えてしまうなんて。
「うん……」
おそらくしゃべるのも辛いのであろう少女は、ようやっと声を搾り出す。まさに、数少ない命の雫を絞り出したような声だった。
「……ごはんは? 水は?」
恐らくは、寝床もなく、本当にずっと、ここにいたのだろう。
彼女の手は、冷え切っていた。
「ごめんね。ずっと嘘ついてたの」
「え?」
「病気だったのは私。お父さんが戻らないの、知ってたのに、ね」
彼女はいつものように微笑んだ。
それが、この街の、常識。
父が戻らなくても仕方ない、もう助からない娘は捨てられても仕方ない。だってこの街ではそれは当たり前のことだから。食べてくためには必要だから。
僕は、せめてその冷たい手に暖かさを取り戻したくて、必死に手を握ることしかできなかった。
でもその手は、未来永劫、もう暖かさを取り戻すことは、なかった。
でも、僕はその日、そんな彼女の手を、いつまでも、いつまでも、握りしめ続けていたのだった。
≪ [即興小説]疲弊の略奪者 →"いつも"の街角 続編 | | HOME | | [即興小説]団地妻の檻 ≫ |