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私の部屋からは、いつもその湖が見えた。
時には小鳥たちが水を求め、時には動物たちの憩いの場になり、時には子供たちの遊び場所となる、そんな、大きくはないけれど、私にとっては大事な湖。
そんな中で、時々、朝もやのなかにその影を見る。
ぽつんとひとつだけ浮かんでいる、さみしそうな小舟。
気になって窓から手を伸ばしても、無論、届くことなどない。そして、足を運ぶことも、できやしないのだ。
私は部屋から出ることができない。
生まれ持った呼吸器官の病気。それが私の体力をことごとく奪っていた。
療養としてこの地に移り住んだはいいが、寝たきりの生活になれたこの体は、寝台に縛られ、動くことを未だ躊躇っていた。
ある日、私の誕生日に、それが贈られた。
可愛らしい、女の子のためにしつらえたと分かる装飾、赤いチェックの座布団の、車椅子。
「せめて外を見られたら」
「気分転換ができるように」
そういった、暖かい両親の配慮からのものだった。
早速座って使ってみせると、寄り添い合って、両親はいたく喜んでくれた。
虚弱なこの体が、自力で歩くことを諦めた、そう受け取っている自分がいるのが、酷く心苦しかった。
次の日、朝もやの中に、また小舟を探した。
私の世界、私の窓から見える、いつも変わらぬそれ。
水辺に遊ぶ小鳥も、動物も、子供たちも、いつも私をおいていく。
けれど、その小舟だけは、いつも同じ時間に現れ、消えていく。
まるで、私の心のようだと。そう、勝手にシンパシーを感じていて。
車椅子は早速役立ってくれた。
我が家は元々あまり段差のないつくりだったのもあって、一人で「初・車椅子デビュー!」も、そこまで苦ではなかったのだ。
湖のほとりに出向くと、あの影はより近くに見えた。
声をかけようと思うと、自分の喉が思うように動いてくれないことに気がつく。
「あーあー……」
試しに少しずつ声を出して分かったが、しばらく大きな声など使わぬ生活をしていたためであろう、声帯が大きな声を出すことを拒んでいることに気がついた。
ならば。呼びかけることが叶わぬのなら、自分から近づいていくしかない。
私は意を決すると、より近い陸地を求めて、車椅子を走らせた。
少年は、毎朝ここで散歩をすることが趣味だった。
ここは亡くなった父と、よく語り合いに来た場所だった。魚を釣りながら、二人で他愛もないことをよく話していたものだ。
しかし、ある日突然父は死んだ。交通事故だった。母はとうの昔に、他の男と消えていた。
自分を引き取るといった親族は、自分のことをあまりよく思ってないことは明白だった。
嫌なことばかりだから、ここに逃げ込んでいる。その自覚は、あったのだ。
そんな日課の中、陸で、誰かの声が聞こえた。小さな声だったが、叫び声のような気がした。
不審に思って陸地に止めると、いかにも少女趣味な車椅子が横に倒れ、少女が立てもせず、横たわっている。腕で起き上がろうとしているようだったが、無理だったようだ。
「大丈夫ですか」
「え、いや、あの……」
彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。
いつも小舟に乗っていたのはあなたですか。
そう少女が問いかけると、その少年は不思議そうに頷いた。
「そうだけど……」
「あの、あのですね!」
少年は、黙ったまま。
「私と、友達になってくれませんか」
少女が恐る恐ると差し出した手を、少年はにっこりと微笑み、握り返した。
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